001 建築 普寧寺 乾隆二十年(1755)、オイラト(衛拉特)四部の首領は避暑山荘で封を受け、賞賜を賜り、宴席で酒を奉じて万寿を祝った。普寧寺はまさにこの背景のもとで建てられた。「普寧」には雪山・葱嶺から西海に及ぶ臣庶をして「其の居に安んじ其の業を楽しましめる」との意が込められ、寺院は西蔵のサムイェ寺に倣って営まれた。乾隆二十七年(1762)、普寧寺の工事は竣工した。五十年後の嘉慶十七年(1812)には、大雄宝殿にすでに雨漏り、椽望の腐朽、檐椽の脱落が現れ、月台の石料にも酥鹼による破碎があった。翌年の奏報は殿頂の葺き替え、石料の換安、牌楼と牆体の粘補を予定している。柏葰が寺を訪れて詠んだところでは、首を仰いでもなお大仏の腹に及ばず、「更に一層の楼に上って」初めてその面容を見ることができた。 清朝 河北省承徳市 普寧寺 · 大仏寺 · 外八廟 →