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遼朝

遼朝時代の中国古建築と石窟は4件、代表例として独楽寺、奉国寺、華厳寺などがあります。

001 建築 独楽寺 独楽寺はかつて薊州に属し、旧志は寺が州治の西南にあると記す。寺中の観音閣の遼代における重修は、主に劉成碑の転引によって伝わる。統和二年、談真大師が入寺して重修し、閣は上下二層、東西五間、南北八架であった。『京畿金石考』は今なおこの碑を著録し、清代の方志はさらに乾隆十八年に帑を賜って重修したことを記す。近代の図録は山門・観音閣・金剛力士・観音像の旧影を残している。 遼 · 天津 · 天津市薊州区(旧・河北省薊県)
002 建築 奉国寺 遼金交替の際、兵火が蔓延し、東北に割拠した遼代の寺院は一炬のもとにほぼ焼き尽くされたが、ただ義州の奉国寺のみが孤然として残った。大徳七年の碑はその因を追う。金紫光禄大夫の王珣は麾下に命じて常に巡衛させ、僧正の楊公はまた資財を尽くして修繕した。ゆえに殿中の七仏と九間の大殿は、そのままかの戦火を無事にくぐり抜けたのである。 遼 · 遼寧 · 遼寧省錦州市義県
003 建築 華厳寺 華厳寺の年代は一つの記録から始まるのではない。薄伽教蔵殿の梁には1038年の造営題記が残るが、『遼史』は建寺を1062年に記す。以後、兵火による焼失、金代の再建、元代の復興、近代の写真調査、そして21世紀の拡張が、幾重にも文字と映像を積み重ねてきた。今日の寺院は遼金の旧構と新たに広げられた院落とに同時に向き合い、千年近い興廃を結びつけている。 遼朝 · 山西 · 山西省大同市
004 建築 万部華厳経塔 万部華厳経塔は俗に白塔と呼ばれ、内モンゴル・フフホトの豊州故城の西北隅に立つ遼代の八角七層の楼閣式煉瓦塔である。元代の詩には寺塔・城楼・車馬がなお見えるが、清代に銭良択がここを訪れたときには、基址の頽れた空城と「高く天半に矗つ」塔があるだけであった。城郭と寺院が消えた後も白塔はなお田野に独立し、塔内の金・元・明の題記が豊州を往き来した人々の姓名と行程を伝えている。 遼朝 · 内モンゴル · 内モンゴル自治区フフホト市