001 建築 修定寺 唐代の伝記は、張僧猛が傷つけた鹿のために狩りを捨て、魏の孝文帝の囲い狩りの際に虎を匿ってその命を護ったことを記しており、天城寺はこれによって興った。寺院は城山寺・合水寺・修定寺などの名を経て、北周の滅仏の際には「この塔のみ存す」という記載を残し、隋唐に寺は復興し、宋元の碑刻にもなお塔の存することと寺の興るさまが見える。これらの材料は河南安陽の修定寺の寺名・廃興・修葺を一つに貫き、現存する唐代の方形浮彫煉瓦塔を考察するための文献上の手がかりをも提供する。 北魏 河南省安陽県 修定寺塔 · 修定寺 · 天城寺 →
002 建築 定県開元寺塔(料敵塔) 定県開元寺塔は河北省定州に位置し、俗に料敵塔と呼ばれる。明代の登塔詩は塔上から州城を俯瞰し辺塞を遠望する情景を多く詠じている。『燕山叢録』は塔頂に登れば百里先まで見渡せると記し、塔名と契丹への監視を結びつけている。1902年から1932年にかけての古写真は、木立・田畑・街路の中にそびえるこの塔の姿を記録している。 北宋 河北省定州市 定県開元寺塔 · 定州開元寺塔 · 料敵塔 →