001 建築 修定寺 唐代の伝記は、張僧猛が傷つけた鹿のために狩りを捨て、魏の孝文帝の囲い狩りの際に虎を匿ってその命を護ったことを記しており、天城寺はこれによって興った。寺院は城山寺・合水寺・修定寺などの名を経て、北周の滅仏の際には「この塔のみ存す」という記載を残し、隋唐に寺は復興し、宋元の碑刻にもなお塔の存することと寺の興るさまが見える。これらの材料は河南安陽の修定寺の寺名・廃興・修葺を一つに貫き、現存する唐代の方形浮彫煉瓦塔を考察するための文献上の手がかりをも提供する。 北魏 河南省安陽県 修定寺塔 · 修定寺 · 天城寺 →
002 建築 青蓮寺 青蓮寺は山西・晋城の沢州、硤石山にあり、旧称は硤石寺。北斉の頃、山中にはすでに仏教道場があった。唐の大和年間、懐公は地元の官民の支持を得て山上に僧院を営んだ。のちに山下の旧寺は「青蓮」の額を、山上の院落は「福厳」の額を賜った。現在、下院には六尊の唐代彩塑が保存され、上院には北宋の釈迦殿と、幾度もの修繕を経た蔵経閣が残る。寺内の碑刻は二つの院落の営建と修復を記録している。 北斉 山西省晋城市沢州県 青蓮寺 · 硤石寺 · 福厳禅院 →