001 建築 霊岩寺 北魏の正光年間、法定禅師が方山に来て道場を開創し、唐代には会昌の廃仏の後の残像の傍らで再び精舎が興された。北宋の五百余間の院宇はかつて香客が雲集したが、飢饉のために急速に冷落した。金代の僧は古碑を拠りどころに山林を守り抜き、元代の五千余巻の経書は四十五年を待ってようやく竜蔵殿を得、明代に千仏殿が重修され、清代に蔵殿は再び火に毀れた。寺院は幾たびも興廃を経て、歴代の碑刻・拓本・写真を残した。 北魏 山東省済南市長清区 霊岩寺 · 方山 · 玉符山 →
002 建築 修定寺 唐代の伝記は、張僧猛が傷つけた鹿のために狩りを捨て、魏の孝文帝の囲い狩りの際に虎を匿ってその命を護ったことを記しており、天城寺はこれによって興った。寺院は城山寺・合水寺・修定寺などの名を経て、北周の滅仏の際には「この塔のみ存す」という記載を残し、隋唐に寺は復興し、宋元の碑刻にもなお塔の存することと寺の興るさまが見える。これらの材料は河南安陽の修定寺の寺名・廃興・修葺を一つに貫き、現存する唐代の方形浮彫煉瓦塔を考察するための文献上の手がかりをも提供する。 北魏 河南省安陽県 修定寺塔 · 修定寺 · 天城寺 →
003 建築 大雁塔 大雁塔は西安の大慈恩寺内に位置する。『遊城南記』によれば、唐の永徽三年に沙門玄奘が塔を起こし、当初は五層のみで、磚表土心、西域の窣堵波(ストゥーパ)に倣ったものであった。長安年間に崩壊し、天后および王公が資金を出して十層に再建。その後の兵火を経て七層のみが残った。塔下の東西両龕には褚遂良が書した《大唐三蔵聖教序》と《述聖記》が保存されている。 唐 陝西省西安市 仏塔 · 西安 · 仏教 →
004 建築 仏光寺 仏光寺は山西省五台県にあり、寺は「仏光」の瑞応にちなんで名付けられた。唐の大歴五年、法照はここで寺の南に数条の白光を遥かに望み、元和年間には「仏光寺の側らに慶雲現る」との奏報もあった。敦煌『五台山行記』はその大仏殿七間、弥勒閣三層七間を記す。会昌の廃仏の後、僧の願誠が「仏光寺を重ねて尋ね」、次第に新たに成した。今に残る東大殿はこの再建の遺物である。 唐朝 山西省五台県 仏光寺 · 大仏光寺 · 五台県 →
005 建築 南禅寺 南禅寺大殿は山西省五台県李家荘にある。大殿の梁下に「大唐建中三年……重修殿」と墨書があり、明確な紀年をもつ中国現存最古の唐代木造建築の一つである。1953年修繕前の調査写真は、前面軒の扉窓・軒の出跳・架構の細部がなお唐代原構の情報を保持していることを示す。 唐 山西省五台県 南禅寺大殿 · 南禅寺 · 五台県 →
006 建築 泉州開元寺 黄守恭は「桑の木に蓮が咲いてから屋敷を施そう」と条件を掲げたが、数日後、桑の枝には白蓮が咲き満ちた。二世紀後、仏殿・経楼・鐘楼は一夜のうちに焼失した。その後、開元寺はたびたび再建され、木塔は煉瓦塔に、煉瓦塔は石塔へと代わり、ついには短刀を携えた「猴行者」が仁寿塔に刻まれた――百回本『西遊記』より約三百年も早い。さらに後には、飢饉の群衆が長い廊下に坐り込み、明代の遊人は月の下で双塔を巡った。 唐朝 福建省泉州市鯉城区 泉州開元寺 · 蓮花寺 · 興教寺 →
007 建築 興教寺塔 興教寺塔は西安少陵原の興教寺内に位置し、玄奘・窺基・円測の三基の舎利墓塔の総称である。玄奘塔が中央にあってやや大きく、唐の総章二年(669)建寺時に造立された。窺基塔・円測塔は左右に陪侍しやや小さい。玄奘塔銘・基公塔銘は唐の開成四年の原刻であり、円測塔銘の原石はすでに砕けており、塔上に嵌められているものは後世の復刻である。 唐代 陝西省西安市長安区 興教寺塔 · 興教寺 · 玄奘 →